お地蔵さん

旅の宿 風の音

忠範・範宴・綽空・善信・親鸞

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山べぇです。親鸞について

青年期(八歳〜三十五歳)九歳で出家するも、下山して法然の門下に

平安末期の都で、下級官人の日野家に生まれた忠範は、早くに両親と別れ伯父の家に引き取られて幼少期をすごした。家では召使いの犬丸やサヨに可愛がられ、また、鴨の河原では、ツブテの弥七、河原坊浄寛、法螺坊弁才ら無頼の者たちと親しく交わって育つ。平家の組織・六波羅童の元頭領、黒面法師とはこのころから死闘を演じた。
九歳にして、慈円阿闍梨のもと白河房に入室、三年後には比叡山の横川に入山し、範宴と名のって修行に励む。だが、どんなに厳しい修行をしても悟りを得られずに挫折。二十九歳のときに六角堂へ参籠し、紫野(のちの恵信)という女人との縁のなかで、ついに山をおりることを決意。法然上人の門下となり綽空と名乗る。新たな生活にはいり、恵信と再会して僧侶の戒を破って妻に迎えた。それから数年にして、法然が著した秘蔵の書『選択 本願念仏集』の書写を許されるまでに法然に認められ、善信の名をもらう。
だが、朝廷や貴族にも広まりはじめた法然の教えは、やがて念仏禁制の厳しい弾圧を受け、師は讃岐へ、善信は越後へ罪人として流刑にされる。彼は親鸞と名を変え、恵信をともなって北国へ旅立つ。

第一部 青春編 上下 親鸞 五木寛之

壮年期(三十六歳〜六十一歳)流罪の地・越後から、信念を胸に東国へ

越後に流された親鸞は、地元のたみに崇められる外道院の、貧者・病者・弱者を区別しない生き方に衝撃を受ける。やがて届いた師・法然の訃報。
「わたしは独りになった。自分自身の念仏をきわめなければならない」。そう心に決めた親鸞に東国から誘いがかかり、常陸国で二十年説法をつづける。そして、六十一歳にして京へ戻ることを決意した。

京を追放された親鸞は、妻・恵信の故郷である越後に流されていた。一年の労役の後、出会ったのは外道院と称する異相の僧の行列。貧者、病者、弱者が連なる衝撃的な光景を見た親鸞の脳裡に法然の言葉が去来する。『文字を知らぬ田舎の人びとに念仏の心を伝えよ』。それを胸に親鸞は彼らとの対面を決意する。

雨乞いの法会を切り抜けた親鸞は、外道院と袂を分かち、越後に施療所を開設する。訪れる人びとと話し合う穏やかな日々を恵信とともに過ごしていた折、法然の訃報が届く。とうとう師を喪った親鸞は自分自身の念仏をきわめることを決意する。関東から誘いがかかったのはそのときだった。

第二部 激動編 上下 親鸞 五木寛之

晩年期(六十二歳〜九十歳)東国から都へ戻る

東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし「教行信証」を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという女借上・竜夫人だった。このふたりと親鸞の因縁とは?

偉大な師にして父親の親鸞に認めてもらおうと善鸞は東国行きを志願するが、父子の懸隔はかえって広がる。一方で最後の闘いの時も迫っていた。 覚蓮坊、謎の女借上・竜夫人、若き日に出会ったツブテの弥七・黒面法師ら 永く深い因業が解き明かされる。そして九十歳で入滅ー〜ー。
第三部 完結編 上下 親鸞 五木寛之

正信偈 和讃



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