東行庵

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東行庵・高杉晋作編 下関界隈をブラブラと

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山べぇです。東行庵・高杉晋作編

駅から見た下関高杉晋作

東行墓

東行墓高杉晋作(号東行)は天保十年(1839)二百石の長州藩士の長男として萩に生まれた。
十八歳にして生涯の師吉田松陰の松下村塾に入門したのを転機に希代の革命戦略家として頭角を現す。
文久三年(1863)長州藩が外国艦隊と砲火を交えるに及んで奇兵隊を組織自ら初代総監となる。
以後各地に討幕戦を指揮し明治維新のさきがけとなったが慶応三年(1867)四月十四日(命日は十四日)下関において結核のためその雷電風雨の如き二十七歳八ヶ月の生涯を閉じた。
遺言によりここ奇兵隊本拠地吉田清水山に土葬される。

東行庵

東行庵この地は清水山と称し幕末の頃奇兵隊軍艦山縣狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。
慶応三年(1867)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。
晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅処)は黒髪を断って出家したので、山縣は明治二年(1869)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。
現在の庵は明治十七年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により建立されたもので、梅処は明治四十二年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
昭和四十一年東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため大修理を行った。

晋作と龍馬・東行記念館

面白きこともなき世に高杉晋作の百年祭を記念して昭和41年(1966年)4月14日に開館しました。
晋作の遺品をはじめ、奇兵隊や、幕末から明治にかけて活躍した人々の遺品や資料を収蔵・展示しています。
多くの「勤王の志士」たちと交流した晋作は、坂本龍馬とも親交厚く、上京する龍馬にピストルを贈った話や、一緒に小倉戦争を戦った話などが遺っています。
晋作の才能を高く評価した龍馬は、家族に宛てた手紙の中で、晋作を「天下之人物」として紹介しています。

晋作が龍馬に贈ったピストル(複製)

龍馬贈ピストル慶応二年(1866)一月に、晋作が龍馬に贈ったと推測されるピストルと同型のもの。
スミス&ウェッソン社製のⅡ型で、晋作が文久二年(1862)、上海に渡航した際に購入したものと言われている。
慶応二年一月二十三日夜、龍馬は、伏見の寺田屋で、幕府の役人に襲われた(寺田屋事件)。
その時、龍馬が身を守るため、使用したのが、このピストル。
左上には坂本龍馬と中岡慎太郎墓(霊山護国神社)の写真が掲げてある。京都編でお墓の写真を掲載する予定。

晋作の花押

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